演技論の雨音 

雨の画像


 涼しくなってきたので、久しぶりに夕方のランニングに切り換えたら、
ものすごい夕立にやられました 


 周回コースのランナーや、ジョギング、ウォーキングの人たちは、
雨宿りの出来る身近な軒先を求めて、右往左往です   


 コチサがたどり着いたところは、大きな家の張り出した軒先 


 コチサを含めて6名ほどの人たちが身を寄せています。


 ただただ、雨空を見上げ、雨音に耳を傾け、時を待ちます 


 コチサはこういう状況がとても居心地が悪く感じるタイプです 


 集まったメンバーは、話したことは無いものの、
何度かすれ違った事がある顔見知りだし、何より趣味を同じくする同志です 


 でも、誰も言葉を発しません 


 誰もがこの状況の気まずさを感じていますが、
積極的に沈黙を破れない何かを背負ってしまった感じです 


 こういうのって、タイミングの問題だから、もう仕方ありません 


 いたたまれない中、6人の思いはただひとつ。


 『雨よ、早くあがってくれぃ


 しかし無情にも、雨はしさを増すばかりです 





 ついに、ひとりの青年が音を上げました 


 わざとらしく軒先から手を差し出して、雨量を確認すると、
あー少しおさまってきたかな。これなら大丈夫だ
という無言の一人芝居のあと、意を決して雨中に駆け出して行きました 


 雨はおさまるどころか、一層激しくなっているのに、
彼の演技は、完璧に雨上がりを感じさせました 


 『ひとり芝居』を生業にしているコチサには、なんと衝撃的な場面でしょう 


 この瞬間、コチサの中で、どんな有名な演出家の指導も、
スタニスラフスキーの演技理論も吹っ飛びました 


 演技は技術や経験で出来上がるものじゃない、
本当の芝居は、いたたまれなさから産まれるものなんだ! 


 これこそ演技の原点だ 


 そしてひとりひとりが、それぞれの小芝居を経て、雨中に飛び出していったあと、
ひとり残されたコチサは、見る観客の無いまま、それはそれは下手くそな演技で、
軒先の雨を確かめ、ゆっくりと雨の中にび出したのでした 


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