清き心 

花を眺める男の子の画像


 毎月の保育園のお誕生会で思うことですが「子どもたちの心って、なんて純粋で綺麗なんだろう
 当たり前といえば当たり前のことですが、邪心にまみれたコチサには心洗われる思いです 





 今回のお誕生日のお友だちを、みんなでい、みんなで一緒にびます 


 彼ら彼女らは、ちゃんと順番を知っています 


 「次の次の、そのまた次の月は、ボクの誕生日だ。
でも今日はボクのお祝いではないから、お友だちのこの日を祝おう



 なんか、そんな達観した汚れない素直さを感じられます 


 「人に優しくしよう」とか「自分を抑えて相手を祝福しよう」などという、
教訓的なものではなく、自然の摂理の中に、素直に身を任せている感じがします


 「春が来れば、夏も来る、秋も来るし、冬も来る。ちゃんと順番にやってくる


 そんな悟りを啓いたような「自然な心」を持っています


 お釈迦さまがあんなに苦労して会得した「悟り」の道を、
実は、人はみんな生まれながらに持っていたのかもしれません 





 コチサ
「はーぁ 


 お母さん
「どうしたん? 珍しく元気がないなぁ(^_^;)」


 コチサ
「コチサも保育園時代って、あんなに純粋だったかなぁ? 


 お母さん
「あぁ、ええ子やったで(^^)」


 コチサ
「記憶に無いんだよね。コチサの一番古い記憶の中にある自分って、
やっぱりこずるい魂があった気がするんだよね 


 お母さん
「・・・(ーー;)」


 コチサ
「もしかして、コチサは特別に「こずるい」だけを持って産まれて来たのかな? 


 お母さん
「そんなことないと思うで。お前が赤ちゃんの頃は、普通の子やったで。
特別に悪い子でもなく、特別に聡明な子でもなかったでぇ(*^^)v」


 コチサ
「聡明かとかは、どうでもいいんだよ 





 物語には「起承転結」というものがあります 


 それは、長~い小説でも短いエッセーでもそうだと思います 


 ただ徒然にだらだらと文字を連ねるこのブログでも、
コチサは一応「起承転結」を考えているのです 


 だから、どう考えたって、今回の話の展開は、
」・・・園児の清き心に接して、ふと幼き自分を回想するコチサ
」・・・でも、今の自分から想像するコチサに、そんな清き心の幼年期があったとは思えない
」・・・で、お母さんに聞いてみると、なんとコチサの清き心を象徴するような感動的な出来事が・・・
」・・・あぁ良かった、コチサにも清き心はあったんだ、メデタシ、メデタシ
って流れでしょう!





 お母さん
「それは、ワタシが、何かお前の子ども時代のええ話をせないかんいうことか?(-"-)」


 コチサ
「そうだよ。コチサの記憶がない、2歳とか3歳とかの話で、動的なやつだよ 


 お母さん
「そやなぁ・・・お前が初めて田中店で、お金も払わんうちから、
勝手に肉まんを食べよったんが、確か2歳のときやったかな・・・(/_;)」

 コチサ
「電話切るね、サヨナラ 





 世の中の清き心を持って生まれた全ての子どもたちにあれ\(^o^)/
   




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