追悼、宝生あやこ先生 

藤娘の画像


 またひとり恩師が旅立っていかれました。

 コチサが芸術劇場で「楢山節考」の舞台に立ったのは、いつのことだったでしょう。

 初めての大舞台ということで、田舎から両親と弟を呼び寄せてしまいました。

 コチサは、その他大勢の村人の役で、全身真っ黒で顔も真っ黒…

 それでもひとりひとりが順番に見得を切るシーンがありました。





 お父さん
「真っ黒の中でもお前のことはすぐわかったわ。
次がお前の順番になったとき、ワシも母さんもドキドキしおったわ」





 お父さんは、そう言って嬉しそうに笑っていました。

 思えばあれが、初めての親孝行だったような気がします。

 田舎からの手土産を抱えて恐る恐る楽屋にやってきた両親に、宝生あやこ先生は満面の笑みを持って迎えてくれました。

 わざわざ時間を割いてくれ、





 宝生先生
「よい子に育てられましたね。
素晴らしいお子さまを預けていただき感謝いたします」





 と、ねぎらいの言葉をかけてくれました。

 「劇団手織座」でお世話になった数年間が、コチサの今のお芝居活動の基礎になっています。

 まだ入団したての頃から、





 宝生先生
「さっちゃんは、私のお付きね」





 そう言っていつもおそばにおいてくれました。

 北海道公演での空き時間の珍道中が懐かしく思い出されます。

 どれも遠い遠い昔のことのようでもあり、つい昨日のことのようでもある思い出です。





 9月8日の夕方、かつての劇団仲間から連絡が来ました。

 「宝生先生が今朝お亡くなりになったの」

 着信名に彼女の名前を見たとき、コチサはすでに連絡の内容はわかっていたような気がします。

 高齢のため、ご自身が活動をされなくなると同時に、歴史ある「劇団手織座」は事実上活動休止状態にありました。

 「手織座」は、宝生先生の愛するご主人八田尚之先生が宝生先生の為に立ち上げた劇団でした。

 宝生先生は、八田先生亡き後もその意思を継ぎ、八田先生の脚本を中心に公演を続けてきました。

 八田先生を愛し尊敬し、先生の教えを体の中心から指先まで血液とともに流し続ける演技を見せてくれていました。





 お亡くなりになったことはとても寂しいことだけど、首を長~くして待っていた八田先生と再会できた宝生先生は、今頃ニコニコ笑っているかもしれません。

 天国では幸せな時は永遠に続くことでしょう。

 コチサももう一度あの時の気持ちを思い出して、宝生先生のようにコツコツと、でも頑なな強い意志を持ってお芝居を続けていきたいと思います。





 昨日(9/15)、宝生先生逝去の報道がされたので、ここにお悔やみの気持ちをしたためさせていただきました。

 先生、ありがとうございました。

 そして安らかにお休みください。


納沙布岬の画像
「北海道公演の移動日に納沙布岬へ・・・」



コメント:

おもいで

コチサさんのお芝居を初めて観たのは手織り座の公演でしたね。
「ザ・ウォシュ」今でも思い出します。
新聞で知った時はびっくりしました。コチサさんにメールしようかと思いましたが、既に聞いているだろうし、その時は遠慮させて頂きましたが、いろいろな思い出一杯ですよね。
ご冥福をお祈りします。

Re: おもいで

> コチサさんのお芝居を初めて観たのは手織り座の公演でしたね。
> 「ザ・ウォシュ」今でも思い出します。
> 新聞で知った時はびっくりしました。コチサさんにメールしようかと思いましたが、既に聞いているだろうし、その時は遠慮させて頂きましたが、いろいろな思い出一杯ですよね。
> ご冥福をお祈りします。

がんちゃんへ
ありがとうございます。
劇団の玄関を出たところにがんちゃんがヒトリ立って待っててくれた姿を思い出します。
あれから随分と時間が経ちましたね・・・
すべての出会いに感謝の気持ちでいっぱいのコチサです。
これからも、お互いに素敵な時間を過ごしましょうね♪

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